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現代スペインの民芸家具
現代スペインの民芸家具
今回東京にある百貨店のチェーンから一勢に売り出されたヨーロッパ工芸展の中で、特に現在スペインで製造されている、いわゆるスペイン民芸家具といわれるものを参観して、自分で感心したものや参考のためのものを何点か会社で入手した。
これが松本に運ばれて、一応私の手許に並べられ、ゆっくり研究させてもらうことになった上、工場関係から解説を頼まれているので私の意見を記して参考としてもらうことになった。ここに運ばれたものは、スペイン民芸家具といってもかつての伝統的なものに足場をもつ、いわゆるクラシック家具であり、現代のリプロダクション家具である。原型は多分スペインの十八、九世紀に作られたものであろうが、その元はやはり英国であろう、十七、八世紀頃の流れをくんだ、主流としてはチュードルからジャコピアン期といわれたものの様式を受け継いだもので、ヨーロッパ各地で互いに影響しあったスタイルが案外、古い型式でスペイン辺りに残存したことが考えられる。他の国々が経済的に急速に近代化されたため、家具作りも様相を変えてきたなかで、スペイン等に庶民的な、かつての味わいのある民芸家具の製作が残されたともいい得られるのであろう。
結局、スペイン民芸家具の面白さは全体から見て、やはり伝統というものの力強さ、根強さが充分スペイン等の田舎地方に残されていて、それが現在作られている民芸家具を生かしていて、主たる原動力となっているということではないかと思うのであるが、作っている担当人たちは案外その有難さを知らないのではないかと思われる点もある。これはあとから述べたい。 これらのリプロダクション(復元家具)を見てわかることは、古いスペイン家具を愛好するヨーロッパ人がまだ多く存在するということである。ただ本当に古いものは少なく、素晴らしく値段が高いので「リプロダクション」でも結構需要が多く、スペイン内よりむしろヨーロッパの他の国、あるいはアメリ力あたりが大量の顧客ではないかと思われる節がある。
現在の日本のような高度経済成長のなかでは、取り残されてしまいやすい手工芸もスペインにおいては充分成立する要素が多いのではないか。その意味においてはかつての日本がそうであったような低賃金加工がスペインにおいてはまだ可能であることが考えられる。家具に加えられる彫刻の仕事等が平気で行なわれているところを見ると反面羨しくもある。
一例として戸外使用の独特なスペインの三本足スツールのコストを考えると、生産費としては現実のところ日本では到底太刀打ちできない安さである。しかし使用されている家具用木材はある程度、量と質を考えるとあまり良いものは使えないのか、日本の用材から見ると大変品質的に劣るが、ただ無垢の太い部材を沢山使って、貼物でないソリッドをやっているところが伝統的な昔のもののよさを現代に生かすためには大切な要素であることは充分考えているようである。
なかでもとくに家具に用いられている金具は、かつて日本でも多く作られたような伝統的な、粗雑には見えても庶民風な力と味わいのあるものがなお今日でもスペインでは相当に作る可能性のある環境が残されていることがわかる。多分現地ではこのリプロダクションに見られるような伝統的な金具造りが低い価格で多く入手できることが想像される。
以上のことは今度入手した食卓用の大テーブルに用いられた大きな金物や、太い脚部に用いられたロクロ仕事および大きな部材を見て惑じたことである。ただ我々が見て心から遺憾に思うことは折角の伝統の良さ、力強さを見せながら、何かアンティックに古物に見せようとしてことさらに作っている様子が見えることまたさらにそれに近代的な経済の計算が加わって、仕事は乱雑に、安上りに、それで古い味を出すことをねらっているのが歴然と見えることである。ことさらに稚拙にやることは加工の手間をはぶく経済性と合理的に、うまく考えられたところであろうけれども、これが将来の命取りになる危険性をはらんでいる。ラフな味をつけ、わざわざ時代をつけようとする試みはすでに偽りの仕事であって誰が見てもこれは古い昔の仕事と同様であると思う者はない。まして粗雑なベニヤ板等を組合せてやっているところなど、素人はごまかせても一寸古民芸をかじった人ならすぐにわかることである。これはスペインの家具造りに特にやらせている注文主のディーラー等からつけられた知恵ではないであろうか。
昔の仕事のラフな手口とは発生的に違っているから、味わいを強調しようとすればするほど、不健康で嫌味となるし、ましてそれを現代的な合理主義によって低賃金に結びつけようなどと目論むことは、折角の伝統のよさ、有難さを他の面で示しながら、逆にこれを殺す作用として働くことになる。
用材の優劣は問題ではない、このようなぶ厚い材を使い、金具を用い、なお、昔風のかくし引出しのような細かい芸を見せたり、金具のよさを示しても何もならないくらい、その後進国的な合理主義の猿知恵は結局もとの命さえ奪ってしまうくらいの悪臭となる。ビューロー、戸棚につけられたパネルのモルディングは当然機械加工であり、しかも拙劣な技術をわざと見せて味をねらうなど、日本の嫌味な茶道趣味の外国版を見せられるような気持になる。使いこまれた美しい味、または技術が至らぬために自然に出た稚拙の面白さは正しい民芸家具製作に当っては絶対にねらうべきではないであろう。リプロダクションはあくまでリプロダクションとして作り、勉強の種にするべきものであって、その中に含まれる嘘に陥りやすい仕事は常に反省されなければならない。
民芸家具には当然、民芸の基本的精神を考えなければならない。作り出す初めの意図に不実と考えられる要素は初めから取り除くべきで、とくに商業主義との初めからの妥協は偽りの民芸家具しか作ることができないであろう。民芸品のもつ品格、物の柄は自然に与えられるもので、それ以外のものは一介の商品以外の何物でもない。スペインの現代民芸家具を見て感ずることは、以上のように本来の良さ、有難さを考えずして将来、徒らに商業主義との妥協を進めるならば、その堕落はついに一切の命を自ら断って滅亡の道を選ぶことになるであろうということである。
私は常に考えるのであるが、商売があって品物が作り出されるのではなく、特に民芸家具においては、初めに品物があって経済がそれに従うというものでなければならない。品物が正直に、健康で長い使用にたえるものであれば、何日か使いこなされた物の持つ美しさと味わいは自然に与えられるものであるはずである。これは我々
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